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戦死者総員の埋葬


 戦死者総員の埋葬のこと始まり、此の時は既に東京の本署より指令来り、又各地より臭気甚だしければとて、死体の取片付を請願するもの頻々としてたえざりければ、急ぎ着手せんとし、さて墓地は既に小田山下及び薬師堂河原の旧来の罪人塚に指定せられ、剰え人夫は非人に限り申し付くべしとのことなる由、聞きければ予等は同藩の忠士をして、かかる罪人塚に瞑せしむるに忍びずとなし、再び樋口源助、宮原六郎の両人をして、軍務局に談判せしむ。然るに先方にては堅く執て許さず、結局又予と高津との二人にて、三の宮が仮寓を訪い是非一寺院に埋葬するを許されたしと、再三再四言辞を尽して哀願す。斯る中に戸の口原なる諸隊士及其他の死屍皆小田の罪人塚に運ぶ。其数三十三人と聞く。されど余等は猶も強硬に談判を続け、阿弥陀寺、長命寺の二寺が穢多町に近きを以て、茲に埋葬のこと及人夫は非人に非らざる者より、雇うを許さるる様、是非東京の本局へ伺い呉れよ、而してその返答の有迄で、死人取片付を見合わせられたしと請願せり。彼曰く、今や非人を領内全部及び田島、郡山、本宮等より集め来りたれば日延は能う所ならずと、容易に許さるべくも見えざりき。已むなく予等は瀧澤に帰りて之を一同に告ぐ。衆皆愁嘆之を久うす。一両日の後大町融通寺なる軍務局より使者あり。余と樋口氏とに出局を促す。至れば即ち命あり。御請願の寺院埋葬は阿弥陀寺、長命寺の二ヶ寺に限りて許可すべし。されど人夫の件は許可しがたし、尤も是は当地軍務局限りの内議にて許可する也と。予等帰て一同に報ず。衆皆大に喜ぶ。斯て二寺に埋葬するを見るに、一大塋穴の中に、死屍を投入する事恰も瓦石を取扱うが如し(地方の村に於ては箱に蔵めたるものありき)。予等之を見るに忍びず、苦心の末非人に知る者多き伴百悦(五百石。父祖より鷹頭を兼ぬ)をしてその頭目吉松数名を瀧澤に呼び之に謀る。彼曰、非人人数頗る多し、御高慮の如く金力を以て死屍を鄭重に取扱には、約千両を要すと。予等大に困惑し筒井半造をして商売に謀らしむ(元町役所借金方。大経済家なり)。筒井は大町星定右衛門に談判し、翌朝未明金千両を背負わせ来る。衆大に喜ぶ。筒井曰、返金の期はと。予答う、凡そ百日か半歳と。而て非人に与えば頭目の私腹を満たすに過ず、藩士一人非人に入籍せば、目的を達するを得んと。即伴百悦進で曰、戦場に命を君公に献ずるも非人と為て忠義の骨を葬るも、精神に二なしと。武田源蔵と共に入籍したり(軍務局の知る所とならば、斬首せらるるや必せり)。斯して穢多の群に入り、千金を携え、指揮して墓を作らしむ。然れども両人をして死刑に陥らしむるに忍びず、相議して余一人のみ三宮氏を訪い、事実を陳して寛恕を乞う。氏大に感激し、其相貌を問う。伴は眇也と氏内心諒とせるものの如し。又毎夜一人ずつ両寺に到り、実地見分を許され度を乞う。之亦黙諾せるが如し。噫何たる幸福なりしぞ。三宮氏の同情ある武士なるを知ると与に、我等会津の同士が如何に戦友の思うの至情溢れしかを察するに難からざる也。夫れ法を曲げてまで之を黙許せられよと哀願す。事素より非理余等の意中亦希くば推されよ。斯て余は原田氏と共に先ず夜中之を視察見分す。時に銃を執れる兵多数ありて、篝火を焚きて之を警備す。死屍を運ぶに或は風呂あり、蓆苞あり、戸棚の中に四五人程入たるあり、或は古櫃、古箱等千差別様なり。翌日又之に赴き議して、始め蓆を布き是に屍を並べ、蓆を覆え、又其上に土を掩いさせたり。二寺墓成る、木標を建つ、殉難之墓と、伴、武田と共に瀧澤に帰る。次て応接掛へ呼出され、殉難之墓と題せるは妥当を欠く。直ちに之を撤去すべき旨を受く。噫前年迄威を海内に振いし会藩も失墜如此、忠勇の殉難者夫れ果して瞑するや否や、追憶すれば今尚暗涙に咽ぶを覚えぬ。
一、阿弥陀寺 二、長命寺 三、鞜掛(瀧澤峠方面)
四、戸ノ口 五、戸ノ口原 六、田島
七、大芦 八、小荒井安勝寺 九、一堰
十、川○ 以上
 明治二年の秋に至り、我藩主従は南部斗南に移転を命ぜらる。然れども願の上若松に残り居るもの凡そ二百戸、和田八兵衛之を総轄し、下役には佐野貞次郎等あり。瀧澤の同志者より是等の諸氏に金千両を与えて、今存する阿弥陀寺招魂社の石垣棒杭及び石塔一個を建立せるなり。今の大なる二個の石碑は、後年日橋村の八田宗吉氏建てたる所なりとす。現今阿弥陀寺となれる建物は、元旧城内にありける御三階と称えしものにて、藩公の密議所(月見などもせしと言う)なりけるを、後年檀家にて今の所に移せるものにて、勿論先の千両の金の一部を之が費に充てたるものなり。
 又阿弥陀寺の拝殿は、明治七年に至り松田一芥北海道より来りて、当地在藩士と共に建立せるものなり。
 又かの露座の大仏は、明治四、五年頃弁天山(飯盛山)下仁王門外左側正宗寺入口の上に西向にありけるを、町内有志者の移せるものなり。

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鈴木粂之進の事